一人ドライブがすき

 以前、一度だけポスティングの仕事を受けたことがある。6月だか7月だかの、夏の暑い日のことだ。

 指定されたのは車で片道3時間の距離にある、海沿いの市街地だった。1人で車を運転し、長距離の移動をするのはそれが初めてだった。

 事故に合わないか、道はあっているかと四苦八苦しながら、お気に入りの音楽に耳を傾けた。安全運転で柔らかくアクセルを踏んで、焦れた後続車が私の車を追い越していくのを見送った。

 トンネルをくぐって、峠を越えて、見慣れない風景が増えていく。道路に沿うように並ぶ木々が斜めに傾き始めてくると、海が近づいてきた合図だ。

 窓を開けるとさわやかな風が吹き込んで、まとめていた髪の毛が暴れる。涼しいな、なんて呟きながらハンドルを切ると、突然視界が開けた。道路脇に植えられた木々の列が途切れて、青空の面積が広がった。ひんやりとした風にほのかな潮の香りを感じた。

 胸の奥から喉元にこみあげてくる感覚があった。こしょこしょと内側からくすぐるような、柔らかな高揚感。1人で、こんなところまで来られた。そう実感すると同時に、私は「海だぁ!」と大声を上げたのだ。

 あの時の興奮は、誰かと一緒だったら味わえなかっただろう。

 

 

 

 誰かと一緒に出掛けるのは、あんまり好きではない。他人を意識しながら過ごす自由行動ほど居心地の悪いものはないと思っている。

 私はよく親の用事に付き合わされる。主に運転手という役目を背負わされ、片道1時間や2時間の距離を、隣に座る親と一緒に走っていく。

 現地に着いたらその場で解散し、親の用事が終わるまで自由時間が与えられる。そんなとき、私は大体書店を探す。

 親からの連絡が来たか、時間はどれぐらい経ったのかをスマホの画面でちらちら確認しながら、店内に並ぶ本棚を眺めて回る。この時間ほど苦痛で不自由なものはない。

 私の都合で次に行く先を決められない。自分以外の人の予定に付き合って、いない間もその人の存在が頭の隅にちらつき続ける。こんなに不自由な自由時間はないだろう。

 もともと私は1人で過ごすのが好きだ。それは見知った友人だろうと、育ててくれた両親だろうと変わらない。誰かがそばにいるのは、どんなに楽しいと感じても居心地が悪い。1人になりたいと常に思うし、1人になれるとホッとする。

 だから私は、1人ドライブが好きだ。自分の好きな道を通って、自分の好きなペースで出かけて、自分の好きなタイミングで帰ることができる。

 もともと私は誰かと感情を共有したいとは思わない節がある。というか、周りとの共有が面倒くさくてあきらめている。

 例えば映画を見た後。私はとにかく自分の感じたことをまとめて、それを吐き出したい。そこに他人からの相槌や意見なんていらない。相手の感想を聞くのは、自分なりの整理が終わって一息ついてからがいい。鍵垢に自分の解釈や感想をずらーっと連投して、はぁっとため息を吐けたら、そこでようやく自分の心に隙間ができる。他人の考えを詰め込む空間ができるのだ。

 だから、映画は基本的に1人で見たい。見た後に友人と感想を語り合うのも楽しいんだろうとは思うけど、自分の整理もついていないのに相手の話を聞くなんてできない。そうこうしている間に、自分の感想が相手の感想に上書きされて消えて行ってしまいそうだから。

 自分の解釈は自分だけのもの。自分の感想や考えを理解できるのは自分だけ。そういう思考が根っこにあるから、紹介記事やアフィリエイトが書けないんだと思う。

 自分の解釈や自分の感想は私という人間1人だけのもの。自分以外の人間に理解されるわけがない。そんな未熟で自分勝手で独りよがりな妄想の産物を「紹介」と銘打って他人に押し付けるなんてとんでもない。そう思ってしまうのだ。

 理解できるのは自分だけ。ほかの人が理解してくれるはずない。本当の意味で理解できる人なんかこの世のどこにもいない。

 自己満足? わがまま? そんなの自分が一番わかってる。

 でも自分に嘘はつきたくない。1人でいるほうが気楽だし、1人で遠出するほうがずっとたのしい。誰にも自分を共有したくない。自分という存在を否定されたくない。否定されるのが怖い。自分を他人の手にゆだねて明け渡すなんて恐ろしい。

 それが私という人間だ。気持ちが悪くて反吐が出る。